canosa story Vol. 10 世界の今治タオル

愛媛県の今治市は「日本最大の海事都市」と言われるほど造船業や海運業が盛んである一方、タオルの産地としても有名です。「今治タオル」は今やワールドブランドとして、国内のみならず世界的にも認知されています。なぜ今治で高品質のタオルが生産されるのでしょうか。

もともと今治は織物が盛んでした。8世紀の終わり、平安時代に三河国に漂着した外国船によって綿花の種子が持ち込まれ、西日本の温暖な地方で栽培されるようになりました。そして18世紀江戸時代に入り、今治地方では白木綿(綿織物)が生産されるようになりました。今治の綿製品は“伊予木綿”と別格視され、大阪や京都などで珍重されましたが、明治時代に入ると、白木綿が次第に衰退していきました。明治19年、矢野七三郎が国内に流通し始めた安くて品質の高い輸入木綿や紡績糸を使う大阪や兵庫の商社に対抗するため、独特の風合いをもつ「伊予綿ネル」の技術を今治に導入し、綿ネル製織を開始しました。そのあと、阿部平助が綿ネル機械を改造してタオルを作るようになりました。これが今治タオルの始まりです。

今治タオルの創設者である阿部平助は、1852年に愛媛県今治市に生まれました。平助は、大阪で目にしたタオルに将来性を見出し、1894年に故郷にタオル工場を設立しました。当時の日本のタオルは吸水性が悪く、肌触りが粗いという問題点があることを痛感。そこで、当時はまだ珍しかった英国製のタオル機械を導入し、吸水性と肌触りの良いタオルの製造に成功しました。平助の努力により、今治のタオルは高い評価を得るようになり、全国的に広まっていきました。今治タオルが有名になった理由のひとつは、その由来と産地の特徴にあります。前述の通り、今治は古くから綿花栽培や織物産業が盛んな地域です。また、石鎚山系の伏流水が豊富に湧き出る地としても知られています。タオルの原料である綿花は、水分を多く含むほど吸水性が良くなるため大量の水が必要です。また、伏流水は硬度が低く、タオルの肌触りを良くする効果があります。石鎚山系の清廉で豊富な水が今治タオルの高い質を支えているのです。

しかし戦後の高度経済成長期には、今治タオルは海外からの安価なタオルの輸入に押され、低迷期を迎えました。海外製のタオルは、今治タオルと比べて安価であり、品質もそれなりだったため、消費者の支持を集めました。そのため、今治タオル産地は深刻な打撃を受けました。600社あったメーカーが100社にまで減少してしまいました。しかし、地元の業者や行政の努力により、品質向上やブランド力強化に取り組んだ結果、徐々に回復基調へと向かいました。

今治タオル産地は、低迷期を脱するために、ブランディングに力を入れました。国の事業である「JAPAN ブランド育成支援事業」を受けて以下のような取り組みを行いました。

・「今治タオル」商標登録
・品質基準の制定
・タオルソムリエの認定

これらの取り組みにより、今治タオルは品質の高さと信頼性で再び消費者の支持を集めるようになりました。

一時は消滅するかと思われましたが、今治のタオルは国内生産の約60%を占めるまでに成長しました。現在も高い品質とブランド力で、国内外で高い評価を得ています。また、タオルを使ったアート作品やファッションアイテムなど、新たな商品開発にも積極的に取り組んでいます。さらに、品質基準に関しては数年に一度改定されているのでどんどん品質も上がっていっています。今後も、今治タオルは、日本のタオル産業を牽引する存在であり続けるでしょう。

canosaでも今治タオルのマフラーやストールなど、とても人気アイテムとなっています。一度手にすると手離せない今治タオルのタオル以外の様々な製品。canosaが自信をもってお勧めします。