canosa story Vol. 11 用の美が息づく器

canosa story Vol. 11

こんにちは、canosaの高橋です。
今回は島根県の出西窯についてのストーリーをご紹介します。

canosaを始めるきっかけとなった「民藝」というキーワード。もちろん民芸品など言葉としては耳にしていましたが、それが具体的に何を指すのかは詳しく知りませんでした。真の意味で私が「民藝」に触れることになったストーリーは別の機会にお話ししますが、民藝とは、大正時代に柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具には、美術品に負けない美しさがあるとして名付けられたものです。民藝には用に則した「健康な美」が宿っている、という新しい美の価値観を提示し、工業化によって大量生産の製品が生活に浸透してきた時代に日本各地の「手仕事」が失われていく流れに対して警鐘を鳴らしたのです。そして民衆の暮らしから生まれた手仕事文化を守り育てようと、その思想に共鳴する人々によってその後、民藝運動が推進されていきます。

そんな民藝運動の影響を受け、今なお実用の陶器づくりをしているのが島根県出雲地方にある出西窯です。
出雲大社から東へ約12キロ、宍道湖へ流れる斐伊川のあたりに、昭和22年、5人の青年が協働して村で初めての陶窯を築いたところから始まった出西窯。民藝運動の父である柳宗悦をはじめ、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチなど民藝運動のそうそうたるメンバーから直接指導を受け、健康な美しい器、暮らしの道具を作り続けている窯元です。郷土の土や釉の原料を大切にしたものづくりをし、おかげさまの精神で温かい器をつくる姿勢。「人は全て何かのお陰さまで生きており、自分の手柄など何ひとつない。謙虚でありなさい。」という「無自性(むじしょう)」の考え方をもとに器を作っており、工房に隣接する展示販売所は、「無自性館」という名がついています。

出西窯の創業メンバーのひとりで、窯元の顔として知られていた多々納弘光さんの著書である「出西窯と民藝の師たち 民藝を志す共同体として」の中にも、戦後の混乱の中から、生涯の生きがいとはなにか、仕事の喜びとはなにか、誰かが誰かを搾取することのない、理想の工芸共同体を目指して試行錯誤していく過程が記されていました。どんなに機械やデジタルが発達した世の中になっても、やはり根底にあるものは「人」であって、出西窯にはその人にとって基本的でなおかつ重要な「感謝する心」「謙虚な精神」が今なお息づいていると思います。実際、初めて窯元を訪れた際には、そこで働く職人、スタッフのみなさん、うつわそのものにも無自性の精神が反映されているようで、窯元全体からその温かく優しい雰囲気を感じました。出西窯の器には、窯名も作者名も刻まれていませんが、それは誰の手柄でもなく、「おかげさまの器」だから。ともすれば、自分の存在や手柄を前面にアピールしたくなるものですが、出西窯の器に触れると、そんな自分の傲慢さに気付かされ、浄化される気持ちになります。出西窯は窯元という次元を超えて、人間の普遍的な価値を説いてくれる存在にも思えます。

そんなおかげさまの精神をもって出西窯で作られる器は、手仕事にこだわったものばかり。手で粘土をこね、ろくろを回してハンドメイドで作られます。出西窯らしさ、オリジナリティを出すために島根県産の材料を使い、地域性を反映させていますが、実は沖縄とも縁が深く、金城次郎氏から教わった作品が出西窯を代表するものとなっているものもあります。

出西窯の器作りで大切にしていることは、料理を盛り付けたときにその器が完成するように考えられていることだそう。生活の中にある道具としての器を作っているので、作り手が使い手の視点から自分で料理し、お皿に盛り付け、どんなデザインがいいのかイメージを膨らませる。そういった姿勢から生まれた器はどれもお料理を引き立ててくれるものばかり。艶やかでこっくりとした飴釉の鉢。出西窯の代名詞的な色として有名な「出西ブルー」と呼ばれる深みのある美しい青のお皿。毎日の食卓に馴染み、温かみのある雰囲気で食事を楽しめ、長く使える味わい深い器たち。

技をきちんと継承し、実用的な器をおかげさまの精神で提供する姿勢に見習って、すべてに感謝して日々大切に使いたい器たちです。