canosa story Vol. 16 canosaが考える民芸と伝統
canosa story Vol. 16
今回はcanosaがよく質問を受ける「民芸」についてのお話です。(吉良のレポート)
「民藝」という新しい価値が生まれたのは、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された民藝運動によってからです。(敬称略) 当時の工芸は華やかで豪華な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。いわゆる美術品です。そんな中、柳らは、「名も無き職人」の手から生み出された日常の生活道具を「民藝」(民衆的工芸)と名付け、美術品にはない「用の美」があると同時に美は生活の中にあると唱えました。そして、各地の歴史風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の価値観」を生み出したのです。工業化が進み、大量生産品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも大きく影響しています。失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らすと同時に、物質的な豊かさだけでなく、良い生活とは何かを民藝運動を通して訴求したのです。
柳達が生きた大正~昭和初期から、私たちを取り巻く環境は大きく変わりました。時代も昭和、平成、令和と変わっていきます。コンビニや100均が街や食卓を支配し、大量生産の拠点も中国からASEAN諸国に移ろいます。何でも安く手に入れることが出来ますし、使い捨てても惜しくありません。「民藝」は生きる上で必要なくなり、一部の「こだわりを持つ人々」や「丁寧な暮らしを望む人」の嗜好品と変わりました。「手しごと」によって生み出される工芸品は当然、100均とは比ぶべくもない価格になりますし、万人が買えるわけでもなくなりました。
canosaの店舗でも価格を見て「わあ高い!」ですとか「いい値段するなあ」というお声を耳にします。そう言った声を聞くと逆に聞かずにはいられません。「高いとはあなたの収入に対して高いのか、それともこの商品にはその金額の価値がないということか」と。来店者にとっては面倒極まりない店主ですが、安易に価格で「高いか安いか」を判断するのではなく、ぜひ「そこにあるもの」が「そこに至るまで」の過程に思いを馳せて欲しいのです。例えば草木編みのかごバックを見て、「編むのが大変なんですよね」とか、藍染めの服を見て「綺麗な絞りだなあ」という声を聞きます。それは事実ですが、さらに掘り下げてみて欲しい。草木を収穫して編めるまでにいくつもの工程を経ること、藍を栽培して収穫して、いくつもの過程を経て藍建してさらに藍建後も維持していく苦労を想像して欲しいと思います。想像といっても実際に見てみないと分からないことも多いはずです。体験工房なので自分で作ってみると分かります。あなたが何日もかけて作ったモノは例え10万円でも売りたくないはずです。お金で買えること自体が奇跡だと思うはずです。
日本人は長いデフレで安いものに慣れきってしまいました。そして一つのものを長く使う喜びの代わりに、使い捨てを重ねて資源と労働の無駄使いをしています。生産側も「使い捨て」されるものに「想い」をつぎ込むわけがありません。使う方も作る方も単なる軽い消費行動としてモノを回転させているのです。
かといって、今の時代に「民藝運動」が馴染むわけもありません。今の民芸は事務的に言えば「日常生活において使用される道具のうち、その材料・技巧・意匠によって美的効果を備えた物品、およびその製作の総称」ということなのでしょうが、「canosaの考える民芸」は「作り手の想いが使い手に伝わる」ことと、「使い手がそれを使うたびに感じる喜び」によって「QOL(生活の質)が高められること」です。
民藝品と共に語られる言葉に「伝統」があります。「伝統工芸品」とは「伝統的工芸品」のことですが、次の5つの要素を満たすと同時に、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年法律第57号、以下「伝産法」という)に基づく経済産業大臣の指定を受けた工芸品のことをいいます。
- 主として日常生活の用に供されるもの
- その製造過程の主要部分が手工業的
- 伝統的な技術又は技法により製造されるもの
- 伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ製造されるもの
- 一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い又はその製造に従事しているもの
「経済産業大臣の指定を受けた工芸品」というのは正直どうでもいいのですが、ここで気になるのは「伝統的な技術」や「伝統的に使用されてきた原材料」などで用いられる「伝統」という言葉です。ようは「受け継がれてきた昔ながらの」という意味だと思います。「昔から受け継がれてきた伝統を守る」ことはとても大切で重要なことです。我々の世代でそれらを断絶させてしまうことは歴史を途切らせてしまうことであり、末代に顔向けできることでもありません。一方で「伝統」とは常に変化していくことと同義語でもあると思います。伝統や歴史は変化の連なりであり、変化なしに伝統や歴史は繋がり得ないのです。歴史年表を見てみて下さい。記述されていることは「主な出来事」ばかりです。特に歴史の出来事に「改革」は欠かせません。変化のない年は年表に載りません。歴史も伝統も「変化と改革」の繋がりなのです。伝統とは「昔から受け継がれてきた技術や工法、材料を活かしながら、その時代に合った作品を生み出すこと」ではないでしょうか。何の工夫もなく唯々受け継いでいくだけのものは伝統とは違う、とも思うのです。常に新しい工夫を時代時代で重ねて引き継いでいく、それがcanosaの考える伝統でもあります。
同時にcanosaの考える民芸は、「常に新しい技法や技術、材料を用いて、名のある(素性の明らかな)作り手がその時代に合った作品を生み出し、その思いを使い手が感じながら大事に丁寧に使い続けること」だとも思うのです。
そして「その思い」を繋げるのが「canosa」に与えられた使命なのです。そう「民芸」とは「人と人を繋ぎ」、「過去と未来を繋げる」ものなのです。