canosa story Vol. 2 鍛冶屋の「くじらナイフ」

canosa story 第二回目は、刃物産業と高知の鍛冶屋さんが生み出したくじらナイフのお話です。日本にもまだまだたくさんの魅力的なものに溢れている!と思わせてくれる商品です。


全土の84%が森林に覆われている高知県では、古来から林業が盛んであり、同時に林業用刃物の生産も盛んだった。長宗我部氏の時代(1590年頃)には400軒の鍛冶屋がいたそうだ。

時代は過ぎて現代、安い木材の輸入や後継者不足により高知のみならず日本の林業は衰退の一途だ。日本の林業産出額は1980年の11582億円をピークに減少傾向にあり、2012年には4000億円を下回った。林業従事者は1980年の146000人から51000人まで減少。手入れがされず荒廃した森林が日本中で増えている。

なぜ、国土全体の7割が森林である日本の林業は衰退してしまったのか。戦中・戦後には軍需物資や復興のために広葉樹が大量に伐採され、そのかわりに、建築用木材として経済的価値が高い(加工がしやすい)、スギやヒノキなどの針葉樹を植林する「拡大造林政策」がとられた。ところが、これらの植樹が育つ前の1964年に木材の輸入が自由化され、安価な外国産材が市場を席巻してしまったために、「拡大造林政策」の日本の木材は使われなかった。皮肉なことに今では世界的な木材需要の逼迫で外国産材の方が高騰しており、国産材のスギは「世界一安い」とさえ言われている。それにも関わらず、国産材の供給量はこの10年、横ばいで推移している。その大きい理由が前述の林業従事者の不足である。林業従事者が少なくなれば、当然鎌や鍬の需要も小さくなる。高知県の鍛冶屋も20軒ほどまで減ってしまった。

canosaが「くじらナイフ」の生みの親、高知県香美市にある冨士源刃物製作所の山下さんに会いに行くと製作所は閉じられていたが、「鍛冶屋創生塾」でまさに後継者の育成に励まれていた。「鍛冶屋創生塾」を案内していただくと「カンカンカンッ」と小気味のいいリズムで若い研修生が鎌などの打ち刃物制作に熱心に取り組んでいる。鍛冶場の熱気が凄い。山下さんも「最近は自分の製作よりも後継者の育成に力を入れている」そうだ。「くじらナイフ」は一般の人にも土佐打刃物を身近に感じて貰うために作られたそうだが、玩具ではないそのナイフを持つと心地よい重さに頼もしさを感じる。砥石で手入れをしていけば一生使えるだろう。沖縄以上に高知はクジラが身近だ。高知市内に行けばクジラ料理も普通に食べられる。

ところで今の子たちはナイフで鉛筆を削れるのだろうか。店に展示していると子供たちが目をキラキラ輝かせて食い入るように見入っている。お小遣いを半分半分出し合って買っていく兄弟もいた。こんな様子を見ていると日本の将来もまだまだ明るい気がする。

「馬鹿と鋏は使いよう」なんて例えは今の日本では許されないのかも知れないが、いざという時にために安全なナイフの一つは用意しておきたい。そしてそれが可愛ゆくて困ることなんてないはずだ。本物の鍛冶屋が作ったくじらナイフ。canosaが自信を持ってお勧めする逸品である。