canosa story Vol. 37 レモンの島から美ら島へ。海を渡り時をかける西川孝次さんのガラス
しまなみ海道のきらめく海に浮かぶ、穏やかな島のレモン畑の中に、西川孝次さんの工房はあります。とある冬の日のお昼過ぎ、工房兼ご自宅にお邪魔しました。
沖縄ご出身の上品で穏やかな奥様は、故郷からの訪問者をとても懐かしそうに迎えてくださいました。孝次さんも奥様の故郷である沖縄に炉を作り、帰省のたびに制作していた時期もあったそうです。沖縄との縁がとても深いご夫婦なのです。
◆ 伝説の「マチナト硝子」から受け継いだ精神
戦後、物資が乏しかった沖縄で、米軍基地から廃棄されたコーラやビールの空き瓶を溶かし、生活雑器へと生まれ変わらせた「琉球再生ガラス」。その黎明期を支え、多くの職人を育てた工房が、浦添市牧港にあった伝説の硝子工房「マチナト硝子」でした。西川さんは若き日に沖縄へ渡り、「マチナト硝子」で琉球ガラスのたくましさと美しさに触れました。その経験は、今も西川さんの作風に大きな影響を与えています。
このマチナト硝子を西川さんに紹介したのは、日本の吹きガラス界を代表する存在であり、「倉敷ガラス」の創始者・小谷真三氏でした。用の美を追求する先人たちとの出会いが、若き西川さんを沖縄へと導いたのです。
西川さんが生み出すガラスに、不思議と沖縄の風景が重なるのはそのためかもしれません。ぽってりとした厚み、不均一で愛らしい気泡、手に馴染む揺らぎ。工業製品にはない温もりが、西川さんの作品には宿っています。
それでいて、いわゆる琉球ガラスとも異なる独特の色使いや複雑な成形には、倉敷ガラスの系譜と沖縄で培われた経験の両方が感じられます。そのどちらか一方ではないところに、西川さんの作品の最大の魅力があります。
私たちが西川さんの作品に初めて出合ったのは、沖縄から遠く離れた富山のとある工芸店でした。そこでたまたま買い求めたひとつのミルクピッチャー。その美しい佇まいを日々眺めるうちに、「このガラスをどうしても沖縄に、私たちのcanosaで紹介したい」という強い衝動が抑えきれなくなり、西川さんの工房へと向かったのです。
沖縄の話題は尽きず、気が付くとレモン畑も薄暗くなってきました。慌てて作品を画像に記録し、後日まとめて注文するお約束をして別れを惜しみました。
とても満たされた気持ちで夕暮れ迫るしまなみ海道を走りながら、富山で出会ったあの小さなミルクピッチャーが、巡り巡って、今度はしまなみ海道と沖縄を結ぶ新しい橋になるのだと確信していました。
◆ 島から島へ、手仕事のバトンをあなたの食卓へ
後日、工房から届いた段ボール箱を開けると、中から現れたのは、瀬戸内の柔らかな光を映したようなガラスたちでした。
マチナト硝子が沖縄のガラス界に与えた影響ははかり知れません。そこで培われた「型にはまらない大らかさ」は、海を渡り、時を超えて、今も西川さんの手を通して息づいています。
島から島へ、手仕事のバトンが渡るようにしてcanosaにやってきた器たち。
瀬戸内のレモンイエローや瑞々しいグリーンを思わせる色彩は、沖縄の強い日差しの下でまた違った美しさを見せてくれます。窓辺に置くだけでも、そのガラスの陰影は時間とともに移ろいます。
お気に入りの香りを焚きながら読書をする静かな昼下がり。ペットボトルや缶のままではなく、わざわざこのグラスに冷えた麦茶やシークヮーサーソーダを注ぐひととき。そんな何気ない時間に、西川さんのガラスはそっと寄り添ってくれます。
ジメジメとした梅雨の季節も、これから始まる本格的な夏も。
美ら島で育まれた技術と経験は、海を渡ってレモンの島へ受け継がれました。そして今、そのガラスは再び海を越えて沖縄に戻ったのです。
遠く離れた二つの島を結ぶ見えない橋のように、西川さんのガラスには、人と土地を繋いできた長い時間が、静かに透けて見えるような気がします。
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