canosa story Vol. 6 永遠の首里城
canosa story 第六回目
2019年の首里城火災により焼失した首里城正殿は、今まさにその復興の佳境にあります。今はそんな首里城正殿の復元現場が見られる実はレアなタイミング。2026年の完成を目指す正殿の復元に向けて段階的に一般公開しています。
復元現場は素屋根見学エリア、木材倉庫見学エリア等、正殿遺構、大龍柱補修展示室、首里城復興展示室、世誇殿(大型映像設備)などいくつかに分かれていますが、やはり一番の見どころは「素屋根見学エリア」です。
先日(2024年6月初旬)も見学をしてきましたが、塗装前の構造部分は屋根までほぼ出来上がっていたように見えました。直後のニュースでは、首里城の屋根部分に取り付ける火除けの意味が込められた彫刻である、懸魚と呼ばれる装飾が完成したと報道されていました。「復元」ですが、「平成の首里城正殿」の復元ではありません。多くの学者や宮大工、工事関係者が行った時代考証により、より「琉球王朝時代」の首里城に近くバージョンアップされるのです。
今回は約1万5千本以上の木材が奈良県など県外から調達されましたが、2階御差床の天井部分「小屋丸太梁」に使われているのは、沖縄県国頭村産のオキナワウラジロガシ。約6mあるこの大木は、一人の宮大工が手斧(ちょうな)という道具を使って手加工したそうです。また、やんばるや宮古島でイヌマキやオキナワウラジロガシなどを植樹し、100年、200年先を見据えて県内で木材を調達するための取り組みも始まっています。首里城正殿の柱を支える「礎石」の外周部分に使用されているのは与那国島で採れた細粒砂岩「フルシ(ニービ)」。沖縄の材料も各地から集められ、沖縄県民の復興にかける熱い想いが感じられます。
首里城正殿には「琉球の手仕事」が至る所に施されています。外壁、柱には漆塗りの上に金箔で飾り、屋根の「龍頭棟飾」は陶磁、龍柱は石彫刻、国王の座所は美しい織物で飾られていました。首里城の火災では、琉球漆器などの美術工芸品も被災しました。限られた文化財修理の専門家が長年の経験と知恵を生かして修理していくため、長期的な作業が続いています。
首里城復元は、琉球の美を守り継ぐための試練であり技術力の投資でもあります。首里城の美術工芸品1510点のうち、焼失を免れたのは1119点。火災後の調査で、364点に修理が必要だそうです。そのうち琉球漆器が281点と大半を占めています。収蔵庫に保管していた漆器は高温と消火活動による高湿度にさらされたため、漆器内部から液体が漏れ出ていただけでなく、漆の塗膜がはがれたほか、木部の変形もあったそうです。沖縄美ら島財団によると、これら美術品の復元のために1点ずつ被害に応じた方法を模索しながら修理を進めており、これまでに終えたのはたった12点。すべての復元には早くても20年ほどかかる見通しとのことです。陶磁器21点は割れた部分を接着するなどし、ほぼ復元は完了しているようです。染織は、絹繊維が高熱で固まり、変色や退色などの被害が出たため、修理は難しいといいます。
躯体工事は大手ゼネコンが担当していますが、canosaが入居している「おきなわ工芸の杜」からも若い作家さんがその一端を担っています。漆、木彫りなど、首里城の荘厳な美しさを際立たせる装飾などを製作し、歴史に名を残すのです。素晴らしいことです。
正殿の裏手に聳える「西のアザナ」のてっぺんに立つと、那覇の街やその先の慶良間諸島まで一望できます。自分が琉球王でもやはりこの場所に城を作るでしょう。
沖縄戦や火災で焼失する度に何度も復興してきた首里城。建物は新しくなっても、その歴史や技術を繋いでいこうという思いは未来永劫受け継がれるのです。